【Pitti Imagine Uomo】ピッテ・ウオモとは? その歴史とイタリアファッション
Tendenze moda uomo 2016 - 2017: un'occhiata al Pitti Immagine Uomo
こんにちは、大分です。
今回は、イタリアファッションのみならず、世界のメンズファッションの中心である
PITTI IMAGINE UOMO
(通称ピッティ)について紹介していきたいと思います。
まず皆さん、
Pitti Imagine Uomo(ピッティ・イマジネ・ウオモ)って聞いたことありますか?
聞いたことやこの文字を見たことがあるという方のほとんどは、
メンズファッション誌を読んでいる方ではないでしょうか。
ただ、名前は知っているという方もどのようなものなのか説明には困ってしまうのではないでしょうか。
もったいぶらずに先に答えを言うと、
ピッティはイタリアで年2回行われるメンズファッションの見本市です。
開催期間(初夏・初冬)になると、世界中から出店者やバイヤーの方が集まります。
そこで注目されたアイテムたちは、次の年にセレクトショップなどのお店に並びます。
メンズファッション誌では、ここで取引されるアイテムより、
来場者が着ているコーディネートに注目して紹介していますよね。
Pitti immagine uomo Archives - Mamme a spillo
世界中のアパレル業界で働いている人が集まるので、
彼らのスナップ写真をたくさん集めればそのシーズンの流行が簡単にわかるのです。
つまり、バイヤーや出店者は次のトレンドを、
ファッション雑誌は今のトレンドを探しに集まるわけです。
このように現在のメンズファッションの中心とも言えるピッティですが、
イタリアファッション業界の歴史にも大きく関わっています。
ピッティとイタリアファッション業界の歴史を語るには、
第二次大戦後まで遡る必要があります。
当時のファッションの中心と言えばフランスで、
クリスチャン・ディオールがブランドを立ち上げたのもこの頃です。
一方のイタリアはというと、敗戦国であり、
名のあるデザイナーなどはいませんでした。
当時のファッションと言えばオートクチュール(オーダーメイド)の服が当たり前でしたが、ファッション先進国のフランスでは徐々にプレタポルテ(既製服)の勢いが強くなっていました。
一方のファッション後進国であったイタリアにはオーダーの文化が残っていました。
ここに目をつけたイタリア人がいました。
Giorgini Giovanni Battista | Archivi della moda del novecento
Giorgini Giovanni Battistaは、イタリア製品を北米へ輸出していた商人でした。
彼は戦時中にイタリアにいたアメリカ軍のコネクションから、
イタリア製品(グラス、レザーアイテム、織物など)を北米へ販売していたのです。
アメリカへの輸出の成功から、次第に彼はより効果的なマーケティング手段に取り組むことを決意しました。
そして1951年にパリのファッションショーに合わせてヨーロッパに集まってるバイヤー向けに、イタリアでイタリア製品のコレクションを発表するショーを開催します。
これはイタリア初のファッションショーにして、ピッティの起源でもあります。
その後このファッションショーは、フィレンツェのピッティ宮殿(Palazzo Pitti)で行われるようになったことから、Pitti Imagineと呼ばれています。
現在はピッティ宮殿から場所を移し、バッソ要塞(Fortezza da Basso)で開催されています。
Florence event center | Events organization in Tuscany | Fortezza da Basso
今のPitti Imagineと大きく違うのは、
当初はレディースファッションのみであったことです。
そもそもUomoとはイタリア語で「男性」の意味であり、
Pitti Imagine Uomoは「Pitti Imagineの男性版」ということになります。
Pitti Imagine Uomoが初めて開催されたのは、1972年のことです。
これ以外にPitti Imagineには、Pitti Imagine Bimbo(子供向けファッション)やPitti Imagine Taste(食品)といった洋服を超えた様々なジャンルの見本市が存在しています。
まとめ
- Pitti Imagine Uomoはメンズファッションの見本市
- Pitti Imagine Uomoからトレンドがわかる
- Pitti の起源はイタリア初のファッションショー